底引き網漁は海底に網を曳いて底生魚種を漁獲する積極的漁法で、曳網速度と海底地形の把握が漁獲量を左右する。
水産庁「漁業・養殖業生産統計(令和4年)」によれば、底びき網漁業の全国生産量は約34万トン、生産額は約780億円に上り、我が国の沿岸・沖合漁業の中核を担う漁法となっている。
よくある失敗:曳網開始5分で網が破れる
宮城県石巻漁港の小型底曳き網漁船で、初めて船頭として出漁した若手漁師が、操業開始直後に網を破損させた事例がある。魚探で海底の起伏を確認し、ベテランと同じ速度で曳網を開始したところ、わずか5分で網口に大きな裂傷が入り、その日の操業は中止となった。修理費用は20万円を超え、漁期の貴重な一日を失った。
この漁師が見落としていたのは、海底に突き出た岩礁の「高さ」だった。魚探の表示では平坦に見えても、実際には50cm程度の段差が点在していた。ベテラン船頭は過去の操業記録と潮の流れから、その日の潮位では岩礁が網を引っかけるリスクがあることを経験で知っていた。
もう一つ、北海道の噴火湾で頻発する失敗例がある。秋口の時化明けに出漁した際、海底に堆積した流木や漁具の残骸に網が絡まり、曳網機のワイヤーが切れかける事故だ。時化の直後は海底の状況が一変するため、通常なら問題ない漁場でも障害物が増える。現場では「荒れた後は必ず探索から始める」のが鉄則だが、漁獲を急ぐあまり省略すると高確率で網を傷める。
なぜ網が破れるのか:失敗の構造

底引き網漁の失敗は、3つの情報不足から生じる。
海底地形の立体的把握の欠如
教科書では「魚探で海底を確認する」と書かれるが、通常の2次元魚探では海底の凹凸は線としてしか表示されない。これでは岩礁の高さや範囲を正確に把握できない。結論からいえば、底引き網漁で必要なのは「過去の引っかかり地点」を記録した海図だ。GPS魚探の普及で海底地形を3次元表示できるようになったが、それでも新しい障害物(沈船、投棄漁具など)はリアルタイムでは分からない。ベテラン船頭は操業中の手応えと位置情報を記憶し、次回以降の航路選定に活かす。
曳網速度と網の展開状態の不一致
網は曳く速度によって形状が変わる。速度が速すぎると網口が縦に伸び、海底から浮き上がって漁獲効率が落ちる。逆に遅すぎると網が横に広がりすぎて海底を擦り、破損リスクが高まる。この適正速度は潮流の強さ、網の大きさ、オッターボード(展開板)の重量で変わる。水産庁の「令和4年度沖合底びき網漁業実態調査」によれば、操業中の平均曳網速度は2.5〜3.5ノットとされるが、これは外洋での大型船のデータであり、沿岸の小型船では1.8〜2.2ノット程度が実態だ。
潮流と海底の相互作用の見誤り
潮が速く流れる時間帯は、網が潮に流されて意図した航路から外れる。特に潮の変わり目(転流時)は流向が不安定になり、網が捻れたり岩に絡まったりする。長崎県の五島列島周辺では、潮流が4ノットを超える海域もあり、曳網方向を潮流に対してどう設定するかが技術の見せ所になる。上げ潮と下げ潮で海底付近の流速が異なるため、同じ漁場でも時間帯によって曳き方を変える。

正しい手順:底引き網漁の実務フロー
Step 1:出漁前の情報収集と判断
気象情報と海況予測を複数の情報源から確認する。漁協の無線、気象庁の沿岸波浪予測、漁業情報サービスセンターのデータを組み合わせ、出漁可否を判断する。この段階で重視するのは波高よりも「うねりの周期」だ。波高1.5mでも周期が長ければ操業は可能だが、周期が短いと船が激しく揺れて網の操作が困難になる。
前日の他船の水揚げ状況を漁協で確認する。どの漁場でどんな魚種がどれだけ揚がったか、網の破損はなかったかを聞き取る。この情報で当日の漁場選定と曳網回数の目安を立てる。
燃油の搭載量と航行距離を照合する。底引き網漁は曳網中も常にエンジンを回すため、燃料消費が大きい。往復の航行距離、曳網時間、予備燃料を計算し、不足があれば漁場を近場に変更する。
Step 2:漁場への航行と海底探査
目的の漁場に到着したら、まず魚探とGPSで海底の状況を確認する。ここで重要なのは「一度通った航路をそのまま曳網路にしない」ことだ。航行時は船速が速く、魚探の分解能が低下するため、細かい障害物を見落とす。曳網予定の航路を、曳網速度と同じ低速で一度通り、海底の硬さと起伏を確認する。
海底の硬さは魚探の反射強度で判別する。岩盤は強く反射し、泥底は弱く反射する。網を傷めるのは岩盤や岩礁なので、強反射が続く区間は避ける。砂泥底でも、小石が多い場所は反射強度が中程度になるため、注意が必要だ。
Step 3:網の準備と展開
網を甲板から海中に投入する前に、網の状態を目視で確認する。前回の操業で小さな破れや擦り傷がないか、ロープの結び目が緩んでいないかをチェックする。破れを放置したまま曳くと、そこから裂傷が広がり修理不能になる。
投網の順序は、まず網の後端(コッドエンド)を海に落とし、次に網本体、最後にオッターボードを投入する。この順序を逆にすると、網が捻れたり絡まったりする。投入時は船を微速前進させながら行い、網が船底に巻き込まれないようにする。
オッターボードが海底に着底したら、ワイヤーの張力を確認する。張力が一定になったら網が正常に展開した証拠だ。張力が不安定に変動する場合は、網が何かに引っかかっているか、展開が不完全な状態なので、一度巻き上げて再投入する。
Step 4:曳網中の監視と調整
曳網中は常にワイヤーの張力、船速、GPSの航跡を監視する。張力が急激に増加したら、網が障害物に引っかかった可能性があるため、すぐに減速する。逆に張力が急に減ったら、網が海底から浮いているサインだ。
船速は対地速度ではなく「対水速度」で管理する。潮流が2ノットで流れている海域では、対地速度3ノットで曳いても、対水速度は1ノット(順潮)または5ノット(逆潮)になる。魚探の対水速度表示を見ながら、常に2〜2.5ノットを維持する。
曳網時間は魚種と海底の状態で決める。ヒラメやカレイなどの底生魚は30〜50分の曳網で十分な漁獲量になるが、エビ類は60分以上曳く必要がある。ただし曳きすぎると網の中で魚が傷み、鮮度落ちで価格が下がる。現場では「網が重くなったら上げる」のが基本で、ワイヤーの張力が初期値より20%以上増えたら漁獲が十分と判断する。
Step 5:網の揚収と漁獲物の処理
曳網を終えたら、ワイヤーを巻き上げて網を回収する。揚網速度は一定を保つ。速すぎると網に負担がかかり破れるリスクがあり、遅すぎると漁獲物が網の中で暴れて傷む。
オッターボードが水面に現れたら、クレーンで吊り上げて船上に固定する。次に網本体を引き上げ、コッドエンドを甲板上に持ってくる。コッドエンドの結び目を解いて漁獲物を甲板に出す。
漁獲物は魚種別に選別し、すぐに氷で冷やす。底引き網は多種多様な魚が混獲されるため、選別作業に時間がかかる。この間に魚の体温が上がると鮮度が急速に落ちるため、選別は2人体制で素早く行う。カレイ、ヒラメなどの高単価魚は活け締めにして活魚槽に入れ、生きたまま持ち帰る方が価格が高い。
Step 6:次の曳網への準備
網を甲板に回収したら、破損箇所がないか確認する。小さな破れは航行中に応急処理し、次の曳網に備える。破れが大きい場合は、その日の操業を切り上げて帰港する判断も必要だ。
魚探とGPSの記録を見直し、次の曳網場所を決める。同じ漁場で連続して曳くと、魚が警戒して逃げるため、少し場所をずらすのが基本だ。1回目の曳網で障害物に当たった場合は、その位置をGPSに記録し、次回以降は避ける。
燃料残量と時刻を確認し、あと何回曳網できるかを計算する。底引き網は1回の操業で3〜5回曳くのが標準だが、漁模様が悪い時は早めに切り上げる。無理に回数を重ねても、燃料代が漁獲金額を上回る「赤字操業」になる。
前提条件・必要な道具

船と動力
底引き網漁には、曳網に必要な馬力を持つ船が必須だ。沿岸の小型底引き網(手繰網)なら5トン未満、20馬力程度の船でも可能だが、沖合底引き網は50トン以上、300馬力以上の船が標準になる。船の大きさと網の規模は比例し、小さい船で大きな網を曳くと、エンジンに過負荷がかかり故障する。
曳網機(ウインチ)は油圧式が主流だ。手動式の巻き上げ機は小型船で使われるが、深い海域や大型の網には対応できない。ワイヤーの太さは網の重量と水深に応じて選ぶ。浅い海域なら直径8mm、深い海域や大型網では12mm以上が必要だ。
網と付属具
網本体は、漁獲対象魚種に応じて目合い(網目の大きさ)を選ぶ。エビ類なら目合い15〜20mm、カレイ・ヒラメなら30〜40mm、タラやスケトウダラなら50mm以上が標準だ。目合いが小さすぎると未成魚まで獲ってしまい、資源保護の観点から問題になる。水産庁の資源管理方針で、海域ごとに最小目合いが規定されているため、事前に確認する。水産庁「我が国の海洋生物資源の資源評価(令和5年度)」では、主要底魚資源の約4割が資源水準「低位」と評価されており、適切な網目合いの使用による資源管理の重要性が一層高まっている。
オッターボード(展開板)は、網口を左右に広げるための重要な装置だ。重量と形状で展開幅が決まる。小型船では1枚50kg程度、大型船では200kg以上のものを使う。材質は鉄製が主流だが、近年は軽量化のためFRP製も増えている。
浮子(フロート)と沈子(シンカー)で、網の上辺と下辺を調整する。浮子は網の上辺に取り付け、網口を上に開く。沈子は下辺に取り付け、網を海底に密着させる。浮子と沈子のバランスが悪いと、網が斜めになったり、海底から浮いたりする。
魚探とGPS
魚探は海底の地形と魚群を探知する。底引き網漁では、魚群探知よりも海底地形の把握が優先される。2次元魚探でも操業は可能だが、GPS魚探(GPSプロッター魚探)があれば、過去の航跡と海底地形を重ねて表示できるため、安全な曳網路を計画しやすい。
魚探の周波数は50kHzと200kHzの2種類を併用する。50kHzは深い海域での探知に適し、200kHzは浅い海域で分解能が高い。底引き網漁は水深50〜300mで行われることが多いため、両方の周波数を切り替えて使う。
選別・保冷設備
甲板上には選別台と氷槽が必要だ。漁獲物を素早く選別し、魚種ごとに氷で冷やす。氷は帰港まで鮮度を保つために十分な量を積む。夏場は溶けやすいため、冬場の1.5倍量を用意する。
活魚槽があれば、高単価魚を生きたまま持ち帰れる。ヒラメ、カレイ、マダイなどは活けの方が価格が2〜3割高くなる。活魚槽は海水を循環させて酸素を供給する装置が付いており、電源が必要だ。

プロと初心者の差が出るポイント
水産庁「漁業センサス(2018年)」によれば、底びき網漁業の経営体数は約2,900経営体で、10年間で約30%減少しており、ベテラン船頭の技術継承が喫緊の課題となっている。
海底地形の「記憶」と「更新」
ベテラン船頭は、何度も操業した漁場の海底地形を頭の中に描ける。「あの岩礁の手前50mから曳き始めて、北東方向に200m曳いたら、少し左に舵を切る」といった具合に、GPSの位置情報と海底の特徴を関連付けて記憶している。初心者はGPSの画面だけを見て操船するため、リアルタイムの判断が遅れる。
さらに、ベテランは海底地形が「変わる」ことを知っている。大きな時化の後や、季節ごとに砂の堆積状況が変化し、以前は安全だった場所に障害物が現れることがある。プロは常に海底の変化を疑い、曳網中のワイヤー張力の微妙な変化から「何かが変わった」と察知する。
曳網速度の微調整技術
教科書では「2.5ノットで曳く」と書かれるが、実際の現場では0.1ノット単位で速度を調整する。潮流の強さ、網の汚れ具合、漁獲物の量で網にかかる抵抗が変わるため、ワイヤー張力を見ながら絶えず速度を微調整する。この微調整ができるかどうかで、網の寿命と漁獲効率が大きく変わる。
プロは船のエンジン回転数と推進力の関係を体で覚えている。エンジン回転数を100rpm上げると速度が何ノット増えるか、潮流が1ノット増えたらエンジンをどれだけ回すかを、計器を見なくても感覚で分かる。初心者はGPSの速度表示を見て後から調整するため、常に後手に回る。
漁獲物の鮮度管理
底引き網は一度に大量の魚が獲れるため、鮮度管理が難しい。プロは網を揚げる前から、その日の漁獲量を予測して氷の準備をしている。網のワイヤー張力から「今日は100kg以上入っている」と判断し、氷を多めに出しておく。初心者は網を開けてから慌てて氷を用意するため、漁獲物の体温が上がり、鮮度落ちを起こす。
選別作業でも差が出る。プロは高単価魚から先に処理し、氷に入れる。初心者は混獲物を順番に選別するため、ヒラメやカレイの処理が後回しになり、価格が下がる。長崎県の漁協では、鮮度の良いヒラメは1kgあたり3,000円だが、死後硬直が始まると1,500円まで落ちる。この差を防ぐために、プロは選別順序を徹底する。
網の補修技術
底引き網は消耗品であり、毎回どこかが傷む。プロは操業中の短い休憩時間に応急処理をし、帰港後に本格的な補修をする。網の補修は専門技術で、正しい結び方(網結び)ができないと、補修箇所から再び裂ける。初心者は補修を後回しにして、次の操業で大破させる。
網の寿命を延ばすコツは「小さな破れを放置しない」ことだ。5cm程度の破れなら10分で補修できるが、放置すると1m以上に広がり、修理に半日かかる。プロは毎回の操業後に網全体を点検し、小さな傷をその日のうちに直す習慣がある。
漁場選定の経験知
同じ海域でも、季節、潮の干満、水温で魚の居場所が変わる。プロは過去の操業記録から、「春の大潮の上げ潮時は、この岩礁の沖側にカレイが集まる」といったパターンを蓄積している。初心者は前日の他船の水揚げ情報だけを頼りに漁場を選ぶため、当日の条件に合わず空振りする。
水産研究・教育機構の調査では、底引き網漁の漁獲効率(曳網1回あたりの漁獲量)は、ベテラン船頭と新人船頭で2倍以上の差がある。この差は漁場選定と曳網技術の両方から生じる。ベテランは「今日の条件ならあの漁場」と即座に判断し、無駄な曳網をしない。
網が浮いたら即座に減速:現場の判断基準
底引き網漁の成否は、曳網中の異常をどれだけ早く察知できるかで決まる。ワイヤー張力が初期値より30%以上減少したら、網が海底から浮いているサインだ。そのまま曳き続けても漁獲はなく、燃料を無駄にするだけになる。すぐに減速し、網の姿勢を立て直す。
逆に張力が50%以上増えたら、網が障害物に引っかかっているか、大量の漁獲物が入っている。前者なら網が破れる前に巻き上げる必要があり、後者ならそろそろ揚網の時期だ。この判断を誤ると、網を失うか、漁獲物の鮮度を落とす。
潮の流れが変わる転流時刻の前後30分は、曳網を避けるのが鉄則だ。潮流が不安定になり、網が捻れたり予期しない方向に流されたりする。転流時刻は潮汐表で事前に確認し、その時間帯は移動や選別作業に充てる。
魚探に強い反射が連続して現れたら、そのエリアは岩盤地帯だ。網を入れる前に迂回するか、曳網深度を浅くして岩を避ける。「この辺りは大丈夫だろう」という楽観は、高確率で網の破損につながる。疑わしい場所は曳かない。これが長く操業を続けるための基本だ。
この記事は「漁法・操業の基礎知識 — 沿岸から沖合まで漁業の現場を解説」の関連記事です。漁業に関する体系的な知識はこちらのガイドをご覧ください。
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