沿岸漁業と沖合漁業の違い
夜明け前の漁港で、二隻の船が並んで係留されている。片方は全長8メートルの小型船で、もう片方は20メートル近い鋼船だ。小型船の船長は「今日は昼前には戻る」と言い、大型船の乗組員は「三日後に帰港する」と答える。この違いは船の大きさだけではない。漁場までの距離、漁法、保管設備、経営規模まで、二つの船が属する漁業区分そのものが異なっている。
沿岸漁業と沖合漁業の違いとは、漁場までの距離と操業日数、船舶規模によって区分される漁業形態の違いのことだ。沿岸漁業は陸から近い海域で日帰り操業を基本とし、沖合漁業は陸から離れた海域で数日間にわたる操業を行う。
漁業法上の定義と実態のズレ
漁業法では、沿岸漁業を「小型漁船を使用する漁業または定置網漁業その他の漁業であって農林水産省令で定めるもの」と定義し、沖合漁業は「中型漁船を用いて行う漁業」とする。具体的には、沿岸漁業は総トン数10トン未満の動力船または無動力船を使う漁業を指し、沖合漁業は10トン以上の船舶で、日本の200海里水域内を主な漁場とする。
教科書ではこう整理されるが、実際の現場では規模だけで割り切れない。たとえば静岡県焼津港の鰹一本釣り漁船には19トン型が多いが、操業形態は沖合漁業でありながら、日帰りに近い短期操業を繰り返すこともある。逆に、9.9トンに抑えた船でも、遠州灘沖まで出て二日がかりの操業を行う事例がある。トン数制限による漁業権区分の関係で、あえて10トン未満に設計する船主もいるからだ。
この区分は単なる統計上の分類ではなく、漁業権、補助金の対象範囲、保険制度、税制まで影響する。長崎県五島列島の定置網漁業は沿岸漁業に分類されるが、設備投資額は数千万円に達し、経営実態は中小企業に近い。一方で、三重県尾鷲の個人経営の小型底曳き網漁船は沿岸漁業だが、凪の日には片道2時間かけて沖へ出る。
操業日数と鮮度管理の差

沿岸漁業の最大の特徴は、水揚げまでの時間が短いことだ。早朝に出港して昼過ぎには戻る日帰り操業が基本になるため、漁獲物は高い鮮度で競りにかかる。神奈川県佐島の一本釣り漁師は、朝獲れのアジをその日のうちに東京の料亭に出荷する。氷締めしただけで活けに近い状態を保てるのは、漁場と港の距離が近いからだ。
対して沖合漁業は、操業期間が数日から一週間におよぶ。北海道の底曳き網漁船は、根室沖から釧路沖まで移動しながら3〜4日かけて漁獲し、船内の冷凍設備で保管して帰港する。鮮度落ちを防ぐためには、船上での処理技術と冷凍設備が不可欠になる。宮城県気仙沼の鰹漁船は、マイナス60度の超低温冷凍設備を搭載し、刺身用の品質を保ったまま5日間の操業をこなす。
この鮮度管理の違いは、漁獲物の価格に直結する。東京・豊洲市場の仲買人は「同じ魚種でも、沿岸ものと沖合ものでは値が変わる」と語る。沿岸で獲れた活けのヒラメは、沖合の冷凍ものと比べてキロ単価で2〜3割高い。ただし、沖合漁業でも船上処理の技術が上がり、急速冷凍した鰹や鮪は刺身用として高値で取引される例も増えている。

漁法と対象魚種の違い
沿岸漁業で多用されるのは、一本釣り、刺し網、小型定置網、採貝藻といった漁法だ。和歌山県すさみ町の磯漁師は、素潜りでアワビやサザエを採り、岩場に仕掛けた刺し網でイサキやカサゴを獲る。一日の漁獲量は数十キロ程度だが、魚種が多様で市場価値が高い。石川県輪島の定置網漁業は、沿岸を回遊するブリやサバを狙い、季節ごとに網の位置を変える。
沖合漁業では、底曳き網、まき網、中型トロール、延縄が主体になる。千葉県銚子のまき網漁船団は、複数の船で連携し、イワシやサバの群れを囲い込んで一度に数トンを水揚げする。高知県土佐清水の沖合底曳き網漁船は、水深100〜200メートルの海底を曳き、キンメダイやアカムツを狙う。単一魚種を大量に漁獲することで、加工・流通の効率が上がる。
ただし、近年は漁場の変化で漁法の境界が曖昧になっている。沿岸で獲れていたサバが沖合に移動し、沿岸漁業者が廃業する一方、沖合漁船が沿岸近くまで入ってくる事例もある。青森県八戸の沿岸漁師は「昔はイカが岸近くまで来たが、今は沖へ出ないと獲れない。船を大きくするか、廃業するかの選択だ」と語る。水産庁「令和4年度水産白書」によれば、2022年の沿岸漁業の生産量は約62万トン、沖合漁業は約142万トンで、沖合漁業が全体の約7割を占めている。
経営規模と雇用形態

沿岸漁業の多くは家族経営か一人親方の形態をとる。福井県小浜の定置網漁業は例外的に雇用型だが、多くの沿岸漁師は自分と家族だけで操業する。初期投資は船と漁具で数百万円から一千万円程度に抑えられ、借入れの返済も短期で済む。収入は天候と漁模様に左右されるが、沿岸漁業の経営者は「沖合のように燃料代が膨らまないから、時化で休んでも食える」という。
沖合漁業は、船の建造費だけで数億円に達する場合もある。乗組員は5〜20名規模で、船主と雇用関係にある。静岡県清水の鰹船では、船主が船を所有し、漁労長以下の乗組員を雇う。水揚げから経費を引いた利益は、船主と乗組員で配分される「歩合制」が一般的だ。宮崎県日南市の沖合底曳き網漁業では、若手の乗組員が月給制で働き、ベテランになると歩合の割合が増える仕組みをとる。
経営の安定性も異なる。沿岸漁業は少量多品種で、一つの魚種に依存しないためリスク分散ができる。だが、単価が高い反面、水揚げ量が少なく、年間所得は200万〜400万円に留まる漁師も多い。沖合漁業は燃料費、人件費、設備償却費が大きく、不漁が続くと赤字になるリスクがあるが、豊漁時の収入は桁違いだ。北海道根室の沖合トロール船の乗組員は、年収800万円を超える者もいる。水産庁「2018年漁業センサス」では、沿岸漁業経営体数は約8.9万、沖合漁業経営体数は約2,600と、経営体数では沿岸漁業が圧倒的多数を占める。この数字からも、沿岸漁業が小規模分散型、沖合漁業が大規模集約型であることが裏付けられる。

許可制度と資源管理の違い
沿岸漁業は、各都道府県知事が免許を与える「漁業権漁業」と、農林水産大臣または都道府県知事が許可する「許可漁業」に分かれる。定置網、区画漁業権、共同漁業権は漁協を通じて免許され、漁協の組合員でなければ操業できない。徳島県海部郡の沿岸漁師は「漁協を抜けたら磯で何も獲れない。それが沿岸の掟だ」と言う。
沖合漁業の多くは、農林水産大臣の許可を受ける「指定漁業」に該当する。中型まき網、沖合底曳き網、大中型イカ釣りなどがこれにあたり、許可隻数は国が管理する。資源保護のため、隻数削減が進められてきた歴史があり、1970年代に1200隻あった沖合底曳き網漁船は、2020年代には約300隻まで減少した(水産庁「漁業・養殖業生産統計」による)。
資源管理の方法も違う。沿岸漁業では、漁協ごとに「自主管理」が行われる。兵庫県明石のタコ漁師は、禁漁期間、網目の大きさ、操業時間を漁協が決め、違反者には罰則を科す。一方、沖合漁業は国が定めるTAC(漁獲可能量)の枠内で操業する。マサバ、マイワシ、スケトウダラなどの魚種ごとに漁獲上限が決まり、上限に達すると操業停止になる。
燃料費と採算ラインの違い
沿岸漁業の燃料費は、一日の操業で数千円から一万円程度に収まる。千葉県富津の小型底曳き網漁船は、片道30分の漁場まで往復し、軽油を20〜30リットル消費する。漁獲が少ない日でも、燃料代が水揚げを上回ることは稀だ。ただし、時化が続いて出漁できない日が増えると、月単位では赤字になる。
沖合漁業の燃料費は桁が違う。鹿児島県枕崎の鰹船は、一航海で重油を数トン使い、燃料代だけで100万円を超える。2020年代に入り、燃油価格が高騰したときは、出漁するたびに赤字になる船も出た。ある漁労長は「燃料代を回収するには、最低でも5トンは水揚げが必要だ。それ以下なら港で凪を待つ方がまし」と語った。
燃料費の違いは、出漁判断にも影響する。沿岸漁業は「行ってみてダメなら早く帰る」選択ができるが、沖合漁業は一度出たら帰れない。宮城県石巻の沖合イカ釣り漁船は、出港前に気象情報と漁模様を確認し、漁獲予測が立たなければ出港を見送る。結論からいえば、沖合漁業は沿岸漁業より「博打性」が高い。
後継者不足と高齢化の現実
沿岸漁業の高齢化率は7割を超える地域も珍しくない。島根県隠岐の島では、現役の沿岸漁師の平均年齢が68歳を超え、「あと5年で漁師がいなくなる」と地元漁協が危機感を示す。一人親方の形態が多いため、息子が継がなければそこで終わる。山口県長門市の刺し網漁師は「息子には漁師をやれと言えない。収入が安定しないから」と語る。
沖合漁業も同様だ。和歌山県勝浦のまき網漁船団は、1990年代には20隻以上あったが、現在は5隻に減った。乗組員の確保も難しく、外国人技能実習生に頼る船も増えている。ただし、沖合漁業は雇用型のため、新規就業者を受け入れる体制が整っている船もある。愛媛県宇和島の沖合底曳き網漁船は、漁協と連携して研修制度を設け、40代の転職者を受け入れた実績がある。
ベテラン漁師は「沿岸も沖合も、魚が獲れなくなったことより、魚を獲る人がいなくなることが問題だ」と言う。つまり、漁業の持続性は資源管理だけでなく、人をどう残すかにかかっているということだ。水産庁「令和3年度水産白書」によれば、2020年の漁業就業者数は約13.3万人で、うち65歳以上が約4割を占めており、高齢化の深刻さが数字として表れている。
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この記事は「漁法・操業の基礎知識 — 沿岸から沖合まで漁業の現場を解説」の関連記事です。漁業に関する体系的な知識はこちらのガイドをご覧ください。



