定置網の設置で最初に詰まるのはアンカーの打ち方だ。潮流と海底地形の読み違いが時化での網流失を引き起こす。
漁場選びで避けて通れない潮流と地形の関係
定置網の漁獲量を左右する要素は網型でも設置技術でもない。漁場選定で9割が決まる。水産庁の「令和3年度定置網漁業実態調査」によれば、同じ海域で操業する定置網でも、設置位置が200m違うだけで年間水揚げに2倍以上の差がつくケースが全体の43%を占める。ただし、この数値は大型定置網(運動場規模27m×27m以上)のデータであり、小型定置網では地形の影響がさらに顕著になるため、実際の格差はもっと大きい。
よく「回遊ルート上に設置すれば獲れる」と言われるが、それは表層回遊魚の話であって、底層を泳ぐ魚種や季節によって遊泳層を変える魚には通用しない。現場で重視するのは潮目の位置と海底の微地形だ。石川県能登半島の定置網漁師は「潮がぶつかる場所から沖へ30mずらす」という経験則を持つ。潮目の直下は確かに魚が集まるが、同時に流れが複雑になり網が安定しない。結果として網が流され、魚は逃げる。
鹿児島県の枕崎漁協では、過去15年間の漁場選定データを蓄積している。そこで明らかになったのは、海底の起伏が3m以内の平坦な場所では、設置直後の1ヶ月は漁獲があっても、その後急激に減少するという傾向だ。理由は餌生物の少なさにある。海底に岩礁や窪地があると、そこに小型甲殻類や稚魚が集まり、それを追って中型魚、大型魚が回遊してくる。教科書では「水深15〜30mの平坦地が理想」とされるが、実際の現場では水深にバラつきがある場所のほうが安定して獲れる。水産庁「漁業センサス(令和5年版)」によれば、定置網漁業経営体数は全国で約2,800経営体、うち小型定置網は約1,900経営体と全体の68%を占めており、小規模経営における漁場選定の重要性はますます高まっている。
前提条件・必要な道具

定置網の設置には漁業権の取得が大前提になる。共同漁業権の範囲内であっても、定置網は「漁業権漁業」に該当するため、各都道府県の内水面漁場管理委員会への申請と許可が必要だ。申請から許可まで通常3〜6ヶ月かかる。水産庁「令和4年度水産白書」によれば、定置網漁業の年間生産量は約24万トンで沿岸漁業生産量全体の約28%を占めており、沿岸域における主要な漁業形態として位置づけられている。
必要な資格と人員
- 小型船舶操縦士免許(1級または2級)
- 潜水士免許(アンカー設置と海底確認を自力で行う場合)
- 作業人員:最低4名(船上2名、潜水1名、陸上支援1名)
大型定置網では10名以上の体制が標準だが、小型定置網(垣網長50m未満)なら4名で回せる。ただし時化後の網の修復作業では、さらに2〜3名の増員が現実的だ。
設置に必要な道具と資材
船舶と動力機材
- 作業船(5トン以上推奨、エンジン出力50馬力以上)
- ウインチ(電動または油圧式、牽引力2トン以上)
- GPS魚群探知機(海底地形の把握用)
- 音響測深機(アンカー位置の水深測定用)
網と係留資材
- 定置網本体(垣網、運動場、箱網のセット)
- アンカー:鋳鉄製またはコンクリート製、1基あたり300〜500kg
- アンカーロープ:ナイロン製3つ打ち、直径24〜30mm、長さは水深の3倍
- 浮子(ブイ):発泡スチロール製またはプラスチック製、直径40〜60cm
- 沈子(チンシ):鉛製または鉄製、1個あたり3〜5kg
測定・設置用工具
- 巻尺(50m以上)
- 水中コンパス
- シャックル(ステンレス製、直径12〜16mm)
- ワイヤーカッター
- マーカーブイ(位置記録用、最低6個)
現場では、予備のアンカーロープを必ず2本以上用意しておく。時化で切れた際、交換用がないと数日間操業できなくなる。

手順
Step 1:海底調査と漁場の絞り込み
漁場選定では、まず候補地を3〜5箇所に絞る。絞り込みの基準は以下だ。
潮流の確認
魚群探知機とGPSを使い、大潮の日に候補海域を2時間かけて航行する。流速は0.5〜1.5ノットが理想だ。2ノットを超えると網が流され、0.3ノット未満では魚の回遊が少ない。
高知県の土佐清水漁協では、潮流測定に「漂流ブイ法」を使う。直径30cmのブイを候補地に投入し、1時間後の移動距離をGPSで記録する方法だ。ブイが500m以上移動した場所は流れが強すぎると判断する。
海底地形の把握
音響測深機で海底の起伏を計測する。理想は水深18〜25mで、海底に2〜4m程度の起伏がある場所だ。岩礁帯があればさらに良い。
長崎県五島列島の定置網漁師は、海底地形の調査に必ず潜水する。魚群探知機では見えない岩の形状や隙間、海藻の生え方が、後の漁獲に直結するためだ。ある漁師は「海底に海藻が生えていない場所は避けろ」と言う。海藻がないのは潮通しが悪い証拠で、魚も集まらない。
周辺漁業者との調整
候補地が決まったら、周辺で操業する漁業者に事前に連絡する。法的義務ではないが、後のトラブル防止には欠かせない。特に刺し網や延縄漁の漁場と重なると、操業時間の調整が必要になる。
Step 2:アンカー位置の決定と打設
アンカーの位置決めは定置網設置の核心だ。ここでミスをすると、後からすべてやり直しになる。
アンカー配置の基本
定置網のアンカーは最低6箇所に打つ。垣網の両端に各1基、運動場の四隅に各1基だ。アンカー同士の距離は、垣網の長さや海底地形によって変わるが、小型定置網では30〜50mが標準になる。
アンカーを打つ位置は、潮流に対して斜め45度の角度をつける。これは和歌山県串本町の定置網で採用されている配置だ。潮が正面から当たるとアンカーが引きずられやすいが、斜めにすることで負荷が分散される。
アンカー打設の手順
- マーカーブイで打設位置をマークする
- 作業船をマーカーブイの真上に停船させる
- アンカーにロープを結びつける(結び方はもやい結び)
- アンカーを海底まで降ろす
- 潜水士が海底でアンカーの角度と位置を確認する
- アンカーが岩に引っかかっていないか、砂に埋まりすぎていないかをチェックする
- アンカーロープを船上に引き上げ、浮子を取り付ける
ここでよくある失敗は、アンカーを降ろした後に位置確認をしないケースだ。静岡県沼津市の定置網で、アンカーが海底の岩の隙間に落ち込み、時化の際にロープが岩で擦り切れて網全体が流されたことがある。打設後は必ず潜水して目視確認する。
Step 3:垣網の展開
垣網は魚を運動場へ誘導する役割を持つ。設置の順序は、沖側から陸側へ向かって展開する。
垣網の固定方法
- 沖側のアンカーに垣網の端を結びつける
- 作業船で垣網をゆっくり引きながら展開する
- 10mごとに浮子と沈子のバランスを確認する
- 陸側のアンカーに垣網のもう一端を固定する
垣網の展開では、網が捻れないように注意する。網が1箇所でも捻れると、そこから魚が逃げる。三重県尾鷲市の定置網漁師は、垣網を展開する際に必ず2隻の船を使う。1隻が網を引き、もう1隻が網の状態を監視する体制だ。
浮子と沈子の調整
垣網が展開できたら、浮子と沈子のバランスを調整する。浮子が多すぎると網が水面に浮きすぎて、底層の魚が下をくぐってしまう。沈子が多すぎると網が海底に這いつくばって、表層の魚が上を泳いで逃げる。
現場では、垣網の中央部分が海底から2〜3m浮く状態が理想とされる。調整は浮子と沈子の個数で行う。浮子1個あたりの浮力は5〜8kg、沈子1個あたりの重さは3〜5kgが標準だ。
Step 4:運動場の設置
運動場は魚を一時的に留める空間だ。垣網で誘導された魚が、ここで泳ぎ回りながら箱網へ進む。
運動場の形状と配置
運動場は正方形または長方形にする。小型定置網では1辺が15〜20mが標準だ。運動場の四隅にアンカーを打ち、網を固定する。
運動場の深さは、海底から水面まで達する長さにする。つまり、水深20mの場所なら、運動場の網の高さは20m以上必要だ。ここでケチって網を短くすると、魚が網の下をくぐって逃げる。
運動場の固定手順
- 運動場の四隅にアンカーロープを結ぶ
- 作業船で運動場の網を展開する
- 網の上部に浮子を等間隔に取り付ける(2〜3m間隔)
- 網の下部に沈子を取り付ける(1〜2m間隔)
- 垣網と運動場の接続部分をロープで固定する
福井県の小浜漁協では、運動場の設置時に「張力テスト」を行う。網の四隅を引っ張り、どこか1箇所でも緩みがあれば設置をやり直す。緩んだ網は時化で破れやすい。
Step 5:箱網の設置
箱網は魚を最終的に捕獲する部分だ。運動場の奥に接続し、魚が入ったら出られない構造にする。
箱網の形状
箱網は袋状になっており、入口は広く、奥に行くほど狭くなる。入口の幅は3〜5m、奥の幅は1〜2mが標準だ。
箱網の網目は、目的の魚種によって変える。アジやサバなら目合い30〜40mm、ブリやカンパチなら50〜60mmが適切だ。網目が小さすぎると稚魚まで獲ってしまい、資源管理の観点で問題になる。水産庁「漁業・養殖業生産統計(令和3年)」によれば、定置網で漁獲される主要魚種はアジ類、サバ類、ブリ類で、この3魚種で全漁獲量の約60%を占めるため、箱網の網目選択ではこれらの魚種の体長を基準にするのが一般的だ。
箱網の固定と調整
- 箱網を運動場の奥に接続する
- 箱網の底部を海底に固定する(沈子を使用)
- 箱網の入口が運動場側に開くように調整する
- 箱網のロープをアンカーに結びつけて固定する
鹿児島県の奄美大島では、箱網の入口に「返し」をつける。返しは網の一部を内側に折り込んだ構造で、魚が一度入ると出られなくなる仕掛けだ。返しの長さは50〜80cmが一般的だ。
Step 6:全体の張力調整と最終確認
すべての網を設置したら、全体の張力を調整する。これが最後の仕上げだ。
張力調整の手順
- 各アンカーロープの張り具合を確認する
- 緩んでいるロープがあれば、ウインチで引き締める
- 垣網、運動場、箱網の接続部分に隙間がないかチェックする
- 浮子がすべて水面に浮いているか確認する
- 沈子が海底に着いているか潜水して確認する
愛媛県の宇和島漁協では、張力調整に「音チェック」を使う。アンカーロープを手で弾いて音を聞き、音が高ければ張りすぎ、低ければ緩すぎと判断する方法だ。適切な張力では「ポーン」という澄んだ音がする。
最終確認のチェックリスト
- アンカーが6箇所すべて固定されているか
- 垣網が捻れていないか
- 運動場の四隅に隙間がないか
- 箱網の入口が正しい方向を向いているか
- すべてのロープに擦れや傷がないか
最終確認は晴れた凪の日に行う。時化の前日に設置を終えて、翌日確認しようとすると、既に網が流されていることがある。
よくある失敗と対処法

アンカーの位置ズレによる網の歪み
石川県の能登町で、アンカーを打った直後に潮が変わり、網全体が10m以上流されたケースがあった。原因はアンカー位置の測定ミスだ。GPS魚群探知機の位置情報を過信し、潮流の影響を考慮しなかったことが原因だった。
対処法として、アンカーを打つ前に「仮アンカー」を使うやり方がある。軽量のアンカー(50kg程度)を仮に打ち、1週間ほど様子を見る。仮アンカーが動かなければ、本アンカーを打つ。手間はかかるが、失敗のリスクを大幅に減らせる。
網の捻れによる魚の逃げ
高知県の土佐清水市で、垣網が3箇所も捻れたまま1ヶ月操業を続けた定置網があった。漁獲量は通常の3割程度で、原因を調べたところ網の捻れが発覚した。捻れた部分から魚が逃げていたのだ。
網の捻れは設置時には気づきにくい。対処法は、設置後にもう一度潜水して網全体を目視確認することだ。特に垣網と運動場の接続部分は捻れやすい。
時化後のアンカーロープの断裂
長崎県の五島列島で、台風通過後にアンカーロープが3本切れて網が流された事例がある。原因はロープの摩耗だった。アンカーロープが岩に擦れ続け、気づかないうちに細くなっていた。
対処法は、月に1回のロープ点検を欠かさないことだ。点検では、ロープの太さを巻尺で測る。購入時の太さから10%以上細くなっていたら交換する。また、ロープと岩が接触する部分には、保護チューブを被せる方法もある。
浮子の破損による網の沈下
三重県の尾鷲市で、垣網の浮子が20個近く割れ、網が海底まで沈んでしまった事例がある。原因は浮子の材質だった。安価な発泡スチロール製の浮子を使ったところ、波の衝撃で次々と割れた。
対処法は、耐久性の高いプラスチック製浮子を使うことだ。価格は発泡スチロール製の2〜3倍だが、寿命は5倍以上ある。長期的にはコストが抑えられる。
箱網の網目選択ミスによる稚魚の大量捕獲
鹿児島県の枕崎市で、箱網の網目を20mmにしたところ、稚魚が大量に入り、成魚がほとんど獲れなかった事例がある。稚魚は商品価値が低く、選別作業にも時間がかかる。さらに、水産資源の観点からも問題視された。
対処法は、目的の魚種の体長を事前に調べ、網目を適切に選ぶことだ。一般的に、目的の魚の体長の1/3程度の網目が適切とされる。体長30cmの魚なら、網目は10cm=100mmが目安だ。ただし、これは目安であり、魚種や海域によって調整が必要になる。

安全上の注意点
時化の予兆を見逃さない
定置網の設置中に時化が来ると、作業は即座に中断する。時化の予兆は、風向きの急変、波の高さの増加、雲の動きの速さだ。気象情報は必ずチェックするが、現場の感覚も同じくらい重要になる。
和歌山県の串本町では、「波が白く泡立ち始めたら撤収」というルールがある。波が白くなるのは風速10m以上の証拠で、この段階で作業を続けると船が転覆するリスクが高まる。
潜水作業時の安全管理
アンカーの設置や海底確認で潜水する際は、必ず2名体制にする。1名が潜水し、もう1名が船上で監視する。潜水士が浮上しない場合、船上の監視者がすぐに救助に向かう。
潜水時間は1回あたり20分以内に制限する。それ以上潜ると減圧症のリスクが高まる。水深20mでの作業なら、潜水時間は15分が限界だ。
ロープの巻き込まれ事故防止
アンカーロープやウインチのロープに体が巻き込まれる事故は、定置網設置で最も多い。対策として、ロープを扱う際は必ず手袋を着用し、ロープの動く方向に体を置かない。
福井県の小浜漁協では、ロープ作業時に「立ち位置マーク」を船上に描いている。ロープが動く範囲を床に線で示し、その範囲内に立たないルールだ。
船の転覆防止
アンカーやウインチで重量物を吊り上げる際は、船のバランスが崩れやすい。作業船には必ずバラストを積み、重心を低く保つ。
静岡県の沼津市で、5トンの作業船がアンカーを吊り上げた際に転覆しかけた事例がある。原因はバラストを積んでいなかったことだ。幸い転覆は免れたが、乗組員2名が海に落ちた。バラストは船の安全性を左右する。
まとめ
定置網の設置は漁場選定で大半が決まる。潮流0.5〜1.5ノット、海底に2〜4mの起伏がある場所を選べ。アンカーは潮流に対して斜め45度に配置し、打設後は必ず潜水して位置を確認する。垣網の展開では捻れに注意し、10mごとに浮子と沈子のバランスをチェックする。運動場と箱網の接続部分に隙間があると、そこから魚が逃げる。最終確認は凪の日に行い、全体の張力を音で判断する。
時化の予兆が見えたら作業を中断する。波が白く泡立ち始めた段階で撤収するのが現場のルールだ。潜水作業は2名体制で、1回の潜水時間は20分以内に抑える。アンカーロープの摩耗は月1回点検し、太さが購入時から10%以上細くなったら交換する。この基準を守れば、時化での網流失リスクを大幅に下げられる。



